【gettyで見るアルバム⑥】愛子さま退院、日本一のアイドル初登場

愛子内親王は2001年12月1日14時43分生です。

生後7日目、12月7日に名は「愛子」、称号は「敬宮」と発表され、8日目の2001年12月8日に母の皇太子妃(雅子・当時37歳)とともに病院を退院しました。

皇太子夫妻が1993年6月9日に結婚して以来、およそ8年半での待望の第一子誕生だったため日本国内で多くの期待と注目を集めました。退院した時の報道写真は多いです。

 

このとき、私自身も子どもだったので、皇子女の性別による差など、こだわるようなことではありませんでした。

むしろ同じ女の子でおひめさまの誕生は本当に嬉しいことでした。

彼女ほど大衆の注目を浴び続ける内親王は、日本の歴史上初めてではないでしょうか。

 

東宮の侍医、看護婦を増員 皇太子家の世話係

皇太子ご夫妻の赤ちゃん誕生を受けて宮内庁は、皇太子家の世話をする東宮職の侍医を2人から3人に、看護婦を2人から4人にそれぞれ増やす。7日の閣議で決定された。12日付。

職員増員にも閣議決定が必要なんですね。

そういえば、私は皇太子のファミリーのことを東宮家と書いています。

学校の古文の授業でも東宮(春宮)と習うし、

皇太子の住まいを東宮御所と呼ぶことは現在も広く知られていると思います。

皇太子家より元々ある言葉を使って、東宮家と書いたほうがわかりやすいとおもって、使っているのですが…

ただ、たとえば仮に皇太后が存在したとしても、一般的に大宮さま(住まいは大宮御所になる)と呼ぶことは、もうないでしょうから、

皇太子家と書くほうが今は正確に伝わるものなのかなぁ?とも思います。

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父・皇太子(徳仁親王・当時41歳)が病院へ母子を迎えに来たところ

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お母さんも赤ちゃんとおそろいの純白のアフタヌーンドレスがとても印象的でした。

おくるみにはリボンの縫い取りがあってかわいらしいです。

両親は退院時、私たちに赤ちゃんのお顔がよく見えるようにしてくれました。

こんな小さいころから美しい赤ちゃんだったんですね。

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この金縁取りの真珠イヤリングは今でも見るような気がします

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生まれたばかりの新生児のころから既に整った面影がある敬宮愛子内親王(≧▽≦)110834545110834546110834547114944219114944222114944239528412034528412052

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医師、ナースの見送りに感謝を表す東宮夫妻

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皇太子妃にとって白いスーツは、その後に及ぶ生活の中で次第に定番の姿となっていきました。

 

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1960年3月12日 徳仁親王、生後18日で宮内庁病院を退院、付き添いは牧野純子女官長

 

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【gettyで見るアルバム⑥】愛子さま退院、日本一のアイドル初登場」への2件のフィードバック

  1. 様々な御写真をありがとうございます。
    鼻筋高く可愛らしいです。
    この時の雅子様の表情が自然体で赤ちゃんを慈しんでおられる様子が伝わってきます。皇太子ご夫妻共に、大変晴れやかで、お幸せなお顔をなさっていますね。生まれてくれてありがとうそのものです。

    1. >生まれてくれてありがとうそのものです。

      心のメモリアルですよね。
      ご夫妻がお幸せそうで、写真を見ると当時の喜びがよみがえります(≧▽≦)

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