【gettyで見るアルバム⑤】命名の意外さ

皇子誕生式 (ご懐妊からご命名まで)

2001年12月7日の朝

「命名の儀」に先立って「浴湯の儀(よくとう)」が行われた。

これは天皇の子、皇太子の子など内廷に新宮が生まれた際におこなわれる儀式。

浴湯の儀(よくとう)

赤ちゃんに湯あみさせることで魔を払い健康を祈るもの。

宮内庁病院2階の皇室専用病室を白い幔幕(まんまく)で二つに仕切った。

その一方を浴殿に見立て、赤ちゃんを抱いた東宮女官が入り、木製のたらい桶、柄杓で洗う所作が行われた。

読書鳴弦の儀(とくしょめいげん)

浴湯の儀と同時に行われる。幕で仕切ったもう一方で行う。

読書役が日本書紀の一節を読み上げるごとに「おー」という掛け声とともに弓の弦を引いた。

これを男の子の場合は3回、女の子の場合は2回繰り返す。

長くすたれていたが、1902年秩父宮雍仁親王誕生の時に復活した。

秩父宮は1902年(明治35年)6月25日うまれ、大正天皇の第2子

■読書

うまれた子の学問の上達、文運を願い行われる。

元学習院大学長・児玉幸多により日本書紀の推古天皇に関する部分が読み上げられたという

推古天皇は歴史上、日本をはじめ東アジアで初めて女帝に立った人物。

今上天皇、皇太子の時も日本書紀の一部が読み上げられたという。

日本書紀 巻第廿二(推古天皇に関する部分) リンク原文 リンク書き下し

■鳴弦

健康、武運を願い行われる。弓に弦を張って、弾き鳴らす。

武家の末裔を代表して徳川、前田両氏が務めた。

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2001年11月8日(12月7日公開) 東宮御所での習礼

中央の読書役は歴史学者の児玉幸多氏、皇太子の学習院大学・史学科生時代の恩師でもある。

後列、右から2番目は鳴弦役の德川恆孝氏(つねなり:徳川宗家18代当主)

右端は同じく鳴弦役の前田利祐氏(としやす:加賀前田家18代当主)

左端は古川清東宮大夫(当時)

浴湯の儀行われる 赤ちゃんの健康願い

―略―

また、この日は天皇、皇后両陛下から赤ちゃんに、誕生50日ごろに予定される賢所参拝の際などのための産着「御初召(おうぶめし)」が贈られた。表地は「濡緯(ぬれぬき)」と呼ばれる、緯糸(よこいと)をぬらしながら織った布。裏地は白羽二重。下着は表裏とも白羽二重だが、皇居内の紅葉山養蚕所で皇后さまが育てた「小石丸」という、古代絹に使われた品種の糸が初めて使われたという。

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1960年 常盤松御用邸 浩宮徳仁親王の読書鳴弦の儀(習礼?)

常盤松御用邸は東京都渋谷にあり現在は常陸宮邸、この時は東宮仮御所だった。

左から鳴弦役の前田利建氏(まえだとしたつ:加賀前田家17代当主)

同じく鳴弦役の浅野長武氏(歌御会始講師役、東京国立博物館長などを務めた)

読書役は歴史学者の坂本太郎・東京大学教授

命名の儀

一般的な慣習「お七夜」と同じく生まれて7日目に名前を決める。

儀式は12月7日午前9時50分、皇居の表御座所・菊の間という天皇の執務室で始まった。

今上天皇は湯浅利夫・宮内庁長官に名を贈る旨を告げた。

長官は「名記(めいき)」を渡辺允侍従長に渡した。

名記は、三つ折りの大高檀紙(おおたかだんし)に天皇が名を、長官が称号を記した2通。

この名記は金の菊の紋が入った黒塗りの箱に収められた。

午後10時半、渡辺侍従長は勅使として東宮御所へ出向いて古川清東宮大夫に伝達した。

午前10時半すぎ、皇太子が名記を見て儀式は終わった。

その後名記は、宮内庁病院の皇太子妃のもとに届けられ内親王の枕元に置かれた。

内定の子は天皇が命名するのが慣習になっている。宮家の場合は親や祖父ら直系尊属が命名する。

愛子内親王の名は徳仁親王の命名時と同じく、東宮夫妻の希望を尊重し、今上天皇が決める形をとった。

この時、 秋山虔・鎌田正・米山寅太郎の3氏が「勧進者(かんじんしゃ)」という東宮夫妻の相談役となった。

夫妻が3人の学者から名と称号の候補の提案を受け、話し合って決めたという。

 

ついに名前の公表

午前10時36分、宮内庁の岡弘文総務課長が同庁3階の講堂で

「12月1日ご誕生になった内親王殿下は、御名(おんな)を愛子と命ぜられ、敬宮と称されます」

と発表した。

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出典は「孟子」の「離婁章句下(りろうしょうくのげ)」

孟子曰(いわ)く、君子の人に異なる所以(ゆえん)の者は、其(そ)の心を存するを以(もっ)てなり。君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。仁者は人をし、礼有る者は人をす。人を愛する者は人恒(つね)に之(これ)を愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す。

 

父・皇太子は2002年2月20日の会見で、名の由来、決め方について語った。

皇太子殿下お誕生日に際し(平成14年)問2より抜粋

子供の命名に当たっては,漢文学や国文学の専門の方々から,複数の候補を挙げていただきました。

候補の中では,孟子の言葉が内容としてもとても良いように思いました。

また,敬と愛の二文字が入っているのも良いと思いました。いつの時代でもそうですが,とかく人間関係が希薄になりがちな今の世の中にあって,人を敬い,また人を愛するということは,非常に大切なことではないかと思います。

そしてこの子供にも,この孟子の言葉にあるように,人を敬い,人からも敬われ,人を愛し,人からも愛される,そのように育ってほしいという私たちの願いが,この名前には込められております。

お名前は「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」さま

お子さまの名前と称号は「孟子」から

「愛敬のある、敬愛されるお子さまに」 小泉首相

小泉純一郎首相は7日午前、皇太子ご夫妻のお子さまの名前が「敬宮愛子」に決まったことについて「いいお名前ですね。なにか難しそうな名前かと思ったんですけども、だれにでもわかる。『愛』と『敬』でしょ。愛敬のある、敬愛されるお子さまとして、健やかにご成長してほしいですね」と述べた。首相官邸で記者団に語った。

わたしをはじめ多くの人も小泉首相と同じように、まずごく普通の名前であったことを意外に思って、

そして、「敬愛は生きる上で大切なことだよ」というメッセージを受け取ったと思います。

 

 

命名の披露宴

12月7日午前、命名の儀終了後

衆参両院議長が国会を代表して、皇居宮殿「鳳凰の間」「薔薇の間」で天皇皇后に議会で決議した賀詞を渡した。

正午前、小泉首相をはじめとする三権の長らが、正殿「竹の間」で天皇皇后に、「梅の間」で皇太子に命名のお祝いをつげた。

午後からは「石橋(しゃっきょう)の間」において祝宴が催された。

夜は皇族方、皇太子妃の親族とともに「連翠(れんすい)」で晩餐が催された。

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2001年12月7日午前・命名を受けて祝賀行事に向かう小泉首相
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