自分に問うつぶやき(下書き)

何か月もの間に、心に浮かんだつぶやきなので、だらだらと長い。下書きを出したようなもの。また章ごとに区切って、編集しなおすかもしれん。だけど、どんどん自分の意見が変わるのよね。だから、文章が追いつけない。でも書かないと整理できないし。ここしかかける場所ないし・・・すみません。

昨年から天皇退位が問題提起され、今年に入って女性宮家論がまた脚光を浴び始めた。

法整備にかんするリーク情報も小出しに出てくるので、このところずうっと否が応でも天皇について考えざるを得なくなってしまいました。

それで、写真特集以外の記事も吐き出すように書いてみたのですが、もう少し直感を掘り起こして、自分に問いかけてみようと思い始めています。

わたしはふつうの人だし、政治家や官僚、学者や文学者でもない。この人たちは国家意識があって、自分こそが国を担っているという自意識があるから、天皇の存在が無視できないんだと思う。ある種の貴族意識もあると思う。

こういう意識の強い小林よしのりさんが、若いころは天皇に興味なかったのに今は尊王派を自認するのは、とっても自然なことだと思いました。

エリートにとって、天皇が必要なのは分かった。

じゃあ普通の人にとっての天皇が存在する意味ってなんだろう。普通の人は天皇がいなくても今日さえあれば生きてゆける。メディアで活躍しているエリートの考えを自分に取り込むんじゃなくて、目線を下げて考えてみたいのです。

天皇の公的活動も、象徴天皇にこういうことを期待する人が潜在的に多かったから増えてきたし、早急迅速な被災地お見舞いもされるようになったのだと思います。天皇の決断あってこその活動だったとおもいます。

ここ最近、特に大きな災害も多かった。わたしが被災してなくても、家が無くなった、命を失ったという、重大なものでなかったにせよ、親戚や友人で遭遇した人はいました。

でも、その時に天皇と直結して考えませんでした。天皇がお見舞いしても特に感動するとか、そういうことはない。ただ、そうはいっても、お仕事頑張っているなと思う。

たぶん、日本人の誰かが苦しんでても、それを自分の問題と思わない。国民国家という意識が無くなってきてるんだと思う。わたしは困っている人は経済的に国家福祉で助けるべきと思っているのに、薄情なところがある。

大災害が起きれば、近隣県の警察官は連泊出張で公務に行って、警邏、声掛け。公務を終えたころに、皇族方のご訪問が決定すれば人員確保のためさらに出張はのびる。その帰りを待つ家族は?

さて、これはどう考えたらいいんだろう。

皇族がお見舞いされるのは当然だと思う。

芸能界で立場を築いた人が、炊き出しや掃除にいくのも普通のことになってきた。それで、みんなで応援してます。というメッセージを発信してきたことは、とてもいいことだった。

名のある人の社会に対する責任感、応援してくれた人への恩返し、感謝という気持ちがあったんだと思う。

被災に関係ないほかの人でも支えられた気になったように思う。超成功した人がわざわざ国内にとどまって還元させようとするのってすごいことです。

もしかしなくても、皇族だって同じように何かしなきゃと思っているはずだ。

ただ、そこで気になるのは、皇族は身一つで来られない。皇族と直にふれあうといっても握手会するほどは無理で、限度がある。

天皇、皇后が実際に会って癒してきた人は確実にいると思う。しかし天皇と普通の人には垣根がある。

なので、親しみあるお見舞いを重ねてこられましたと総括されると、矛盾を感じて、反発心がわいてくる。

親しさを強調すればするほど身分の差を浮き上がらせてしまう。普通の人と違う慣習に目が行ってしまうからです。

なにせ、ご高齢となったおじいちゃん天皇に愚痴めいたことをいう人も、個人的な領域にずかずか入り込んでくる人もいないでしょうという言葉が心に浮かぶ。天皇は尊敬するものだとみな共有しているし、周りの目もある。

芸能人より、何倍もすごいカリスマ、知名度を持っているはずなのに、芸能人ほど素直に受け止められない。

お見舞い中の天皇の周りには、十重二十重に人垣があるんじゃないか。お見舞いを受ける人に自分を重ねられないのは私の心のせいか。

被災していない身にすれば警備設営として、動員されるほうに目が傾きがちになるのは仕方ないことなのか。

なにか、もっと寄り添って温かい気持ちになりたいな。私自身が。

皇太子もお見舞いは続けられるだろう。それは、普通の人の望みだから、やっぱり応えたいと思っていそう。

今のように迅速にするかは個性が出ると思う。何年かたって、忘れないよメッセージを発信するために行くことはあると思う。それは、今上の戦跡慰霊の旅と構造が似ている。

ここまでいうと、人間は労働しなきゃ価値がないと言ってるみたいだ。でも、それも違うなぁ。

私は普通の人として、臣民という意識はないし、天皇をお父様とも思わない。

やっぱり、天皇、皇族に個性と人生を見て、それを楽しんでいます。だから、個性があれば好き。

8月ビデオでなんで、「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」に引っかかるかというと、

session22だったかな。荻上チキちゃんが、そういう公務にまい進するという姿勢が雅子さまのバッシングの根拠になってきた面もあったので、と一言だけど言っていた。

メディアでここまではっきり言った人はいなかったけど、やっぱ、そう思う人はいた。私も感じていた。

チキさんはワック消火器まき散らし事件があったときも、「WILL」あたりの精神疾患への無理解からくる変質的バッシングをラジオで批判した。チキさんの感覚はみんなが思ってたことと一緒だったなぁ。彼が皇太子妃バッシングに言及したのってこの時が初めてだったような気がする。よほど腹に据えかねてたんだろう。当然だ。やっぱ人を見てるんだよ。彼もわたしも。

わたしは、ワーカホリックは人生を犠牲にする生き方じゃないのかなと思った。そういうの見るはつらいので、もっと、伸び伸びやってほしかった。それで、そっちのほうがむしろ大変な生き方じゃん。人生を犠牲にして、成長とか進歩があるんだろうかなんて考えてしまった。

自分を犠牲にすると、身近な人にもそうして当然と思っちゃうじゃん。

例えば皇太子妃バッシングする人は、基本的に人に冷たい。優しくない。自分ができたからって、誰でもできるといってしまう。自分が皇族ならこうやってやるのにとうぬぼれている。

だから、ごく一部保守にとって、去年から天皇も非難の対象になってる。

批判する人は人生の目的を特別な存在になることだと思ってるんだよね。それで自分は国家に必要な人材という自負があるから、人間を使える・使えないで線引きする。

そういう人に活力を与えてほしくなかった。

彼ら彼女らは、我慢してきたことが多いからやっかみもすごい。そんな人生は不毛すぎる。

なんか、その人らと、普通っぽい(常識人の)人柄の皇太子とは好対照です。

普通の人の生きる目的って、後で振り返って幸せだったなぁと思えるように、生活をよりよく変えていくことじゃないのかな。

だから、皇太子婚約会見の言葉は、今でもぐさぐさ来る。

だからみんなマサコが大好きなんだよ!

皇太子もそれを共有してるはず。それで十分紐帯が保たれてる。

仕事してるからだけとは違うんだよね。

仕事も本当にすごくすごく大事だけど、言葉の強さというか、同じ思いで生きてるっていうか。信頼感がある。

いいこというじゃん!ていう・・・・みんなそうありたいねってことを言葉にしてくれたというか。

それはただただうれしい。

天皇は普通の人をどう思っているんだろう。やっぱり、自分の仲間と思ってないかもしれない。

私が天皇の赤子と思わないように。でも自分は君主として、君臨するんだと思っていそう。

それが8月ビデオの最後らへんと、2013年の会見の孤独とも思える・・・伴侶を得ました。に感じました。

今上天皇のイメージは孤独になりがちなんだけど、特別な君主になろうという意識が強い人ってかんじ。

なんで、そんなに寂しいことおっしゃるの。いや言いたいの凄くわかるけど、なんでそんなことおっしゃるの?みんないるよ。あなたをみてるよ。そこに気付いてってかんじだった。そんで、皇太子=みんなの感覚ってとこに注目してほしかった。

天皇の最近のことばはそういう気持ちになることが多かった。(政治的発言のことではなく、自身と身内に関することで)

天皇とはもっとふつうにフレンドリーにお付き合いしたいな。

もっと、素直におじいちゃん陛下よくおやりになりましたね、ありがとうの気持ちで送ってあげたい。

わたしは、ビデオの内容はほとんど納得した。完全リタイアしたら、個人的な趣味とかやりたいことを最期までやってほしいし、特に何もやらなくてもいい。根を詰めるご性格の天皇にはリタイアも選択させてあげたい。というかしてほしい。

天皇は国民の精神的支柱だというのがホントなら、天皇が自分に対してだした希望に、反対するのって、相当難しい。だって、今の自分にはそれが必要だっておっしゃったんだもん。(あ、おっしゃってはないですね。漏らされたのが限度だった。)反対できない。というか、一般のどんな人でもこれが私には必要ですと言われたら、尊重しますよね。

ただ、上から声かけて、民草にいうこと聞かせる形になったのが、不思議で。でも、それは感情的には大きな問題でない気もするし…まだわからないんです。

天皇と皇太子ファミリーはどこかで災害が起きたらバケーションを取りやめる。被災者は赤の他人。天皇とつながりはない。でもやめる。

それは国民国家という幻想を維持するために、本当に一生懸命なんだと思った。だって、あの長谷川豊が選挙に出られる時代なんだもん。

日本は困ってる人を助けようとか、赤ちゃんをかわいがろうって感覚が減ってきてる。

すこしでも、自分が生きてこられたのは誰かのおかげって気持ちがある人は、災害に配慮したり(遠慮かもしれんが)困ってる人を助けたい気持ちがある。そういう人として守らなきゃいけないことをわっかりやすく示して来られたのかと解釈しています。

自己責任論では日本社会はまわっていかなくて、壊れちゃうんだよってことを知ってるから、天皇を続けてると思ってるんだけど。どうなんだろう。

天皇と皇太子はそういう日本のかなめになって、社会をつなげていこうって意思がある気がする。

宮家は歴史伝統に対する責任を背負ってるだろうけど、そこまでやってない。

私の感覚では、内廷はプリンス・プリンセスだけど、

宮家となるともう、社長夫人とか令嬢、令息っていうふうに見える。秋篠宮の奥さんの車事故がそう言うのをよく表してる。

だから、今の横ならび状態は不思議でしょうがない。傍系継承なんて思いつくほうが変。

そんなご令息レベルのラインまで下げるなら、一般の家になったほうが、かえって存続の意義が深くなっていいと思う。

ハプスブルグ家はもう王侯貴族じゃないし、日本の徳川家もそうなっている。そういや黒住教は天皇のまねを200年続けてるし・・・

そうなると宮家の存在意義って何だろう。宮家は血のスペアって表現をよく見るけど、宮家だって、うちの子は基本的に宮家の跡取りだとおもってるだろうし。傍系の宮家にスペア意識を強く持たれてもなんかなぁ。現実がそうじゃないよね。桂宮は独身で通したし、三笠宮も寛仁親王も高円宮も、皇族だからこそ可能なこと、皇室広報などにアイデンティティーを見出してたよね。

宮家は世代を重ねればいつか皇族でなくなる。それが傍系になるってことじゃないのかなぁ。

それに自由という観点から、皇室には常に矛盾を感じている私からすれば、血のスペア論を言い過ぎると、皇族妃を天皇の側室扱いしているように聞こえてきて、やっぱり不思議になる。そうなったら、天皇ご生母になるのだから、皇太子妃並みに決めなきゃならなくなる。でも、普段は社長夫人だしで、わけわからんくなるのよね。

序列が決まっている家なのに、なにか事故があればあなたが当主なのよといって、下位の子を育てる家ってないですよね。もう、将来を決めて準備すると思います。それは天皇家も一緒だった。だから、途中で転換できないんですよね。それが宮家を興して独立するってことじゃないかなぁ。

天皇直系と宮家はもう、別個と思ってやったほうがすっきりするんじゃないかな。

直系が出生した時点からもう、血のスペアとしては意義が下がってしまいました。しかし、直系だけに頼るって、相当残酷なこと言ってるな。でも、現代君主制の宿命って気もするし、それを無しにしようとしたら、皇位の有資格者を定めて、何年かおきに互選で決めるみたいな共和的方法しかないしな。もう本当に任期限定の名誉職みたいな感じでね。まあ、それもアミダラ女王みたいで結構素敵。

では直系でない宮家皇族が活動する意義って何だろう。それって、やっぱり、皇室と国民との垣根を越えて矛盾の多い制度を一般人になじませることっていうのがまず思い浮かんだ。皇室文化の担い手といったらしっくりきた。こうして書くと伝統芸能の話みたいだけど、皇室にはこれっていう家業がないしな。それを考えてやらなければならないのは実に興味深い。

公務の実績を件数で表すのは実に分かりやすい。私が敬愛と信頼を感じるのはそこじゃないけど、でも、そこをPRするのは無関心層には説得力があっていいのか?でもそしたら、働けない=無価値論がでてくるし・・・・(;@∀@)グルグル。でもなんかしらPRは絶対必要だし・・・ね、天皇だけが我慢すりゃいいてもんじゃないんだよ。天皇がやったことは国民の価値に多少動揺を与えるんだよ。そこをまた考えて、でも、天皇のやってきたことを否定したいわけじゃないし、赤子のために頑張ったと思うし・・・・・(。-`ω-)ありゃ?ふつうのひとがここまで考えることに意味あるのか・・・でもこれ、過剰なほどの金メダル数を称揚しちゃう日本と関係あるよね。だから、オリンピックとか別に見たくない。感情が上がったり、下がったり、動かされたりしたくないんだよ。バレエと近いけど競技フィギュアも興味ない。点数が付けられないものにルールの足かせをはめて点として見えるようにする意味はわからん。だって、アイスショーとかダンス芸術とか自由度の高い芸術がもうあるじゃん。競技に挑戦する人はすごいと思ってるけども。コレ挑戦自体が凄いっていうのはファンは選手の自己実現を応援したいってことよね。それはとってもわかる。ローザンヌは若手ダンサーの登竜門なのに、留学して名門カンパニーで踊り続けることがかれらの目標なのに、金とってVだからすごいみたいな。記録の賞賛ってそういうのっておかしくない。芸術の本意じゃないよ。体で勝負だからってスポーツ商業脳がしみこみ過ぎ。彼ら自身の自己実現の入口ためにあるんじゃん。ローザンヌは。日本人入賞とか何年連続とか書くのも変。バレエ好きな子が大勢いて支援する大人がいてそれを見る観客がいる、個人の情熱がつながってきたんだもん。日本スゴイとかじゃないバレエ芸術がスゴイ。わ、途中から全然関係なくなっちゃった(≧▽≦)で、天皇を愛して支えてきた人が天皇を自負するのは当然だけど、なんか公務の数しか見ない天皇自身に見向きもしなかった人が日本ってとこだけで皇室を誇りに思うって、それでいいの?ライト層なんてそんなもん?もっと輝きを見出してるんだけどな私は。

とここまで書いて思ったけれど、仮に私の前提が狂ってないとします。それって、すごく自発的な活動です。公務って私たちのためにあるんじゃなくて、皇族、皇室の生命維持、支持力アップのためにしていらっしゃるものだと思います。

だから、秋篠宮とお嬢さんの公務は受け身という考えが、受け入れがたく聞こえました。自己犠牲の必要性を訴えたのなら、つらい。

実際には地方公務では専門性を生かして、動物園や水族館に訪問しているし、十分能動的に活動されていると理解しています。公務の提案者が忖度することもありえるでしょうから、受け身性に疑問が残るところです。

それに彼は、依頼の中から自分で意義を見出したものを引き受けるって言ってたし。好き嫌いで選ぶのはよくないっていうのは単純化しすぎたんじゃないかな。

みんなが気づいてないものに意義を与えるっていうのも十分お仕事たり得るはず。新しいことなので、失敗のリスクはあるが・・・

観光に見える公務で、もてなす側のぜひ御接待したいという希望にこたえて、お仕事と直接関係がない寺社などに訪問することも、意味があるかもしれない。芸能人が頼まれてお店にサインを残すように。

たしかに、それは要請があれば答えるという形にかなっているとは思いますし、制約の多い生活の中で楽しくお仕事するために必要なことはいいと思います。

それでもって、一つ一つの機会を大事にするというのはとてもいいと思います。それは第一に皇族方のためになる活動だからそれでいいと思います。

天皇は祭祀王、神主の親分でそれこそが本業っていうのも、直感では違う気もします。なんかオタクが勝手に決めつけないでよって感じます。

私は神道の深淵が分からないから、判断ができない。

ただ、思ったのは明治初期まで、当たり前のようにお公家さんも装束に冠だったけど、現代日本ではついに神職に限られてしまった。で、天皇も祭祀において装束で臨む。それをいいほうに誤解してるような気がしないでもない。

祭祀と言えば、ふつうの家でも、家業は何回も変わっても、先祖崇拝の祭祀、お墓の世話は受け継いでいく。

旧家ならもっと、こだわってやっているだろう。職業や地位は時世でどんどん変わるから、代々受け継げるものと言ったら、祭祀しかない。それって、日本人はみんな祭祀民ってこと?とギモン。冠婚葬祭が本業でしょうか?人間は一生セレモニーをやるものだっていうのはわかる。でも、セレモニーのために生きてるんだろうか。わたしは祭祀の尊さを見くびっているのかも。

ああ、そうはいっても、結婚と出産のお祝い現象が皇族の一番の存在意義って感じもするんだよ。お祝いムードを作ってみんなを喜ばせることはロイヤルファミリー延命のための死活問題だと思うんだよね。ケイト・ミドルトンのときもそう思ったし、いまだに「世紀のご成婚」だけで特番やってることを見ればあきらかだ。

王室はみんな宗教大事にしてると思うんです。日本だけじゃないような。祭祀とハンコ仕事はどこの君主も同じだと思う。でも、それだけじゃだめで、みんなの君主像の期待に応えなくちゃならない。どの程度のどこの層にこたえるかバランスが難しい。

それで、公務分担論がでてるけど、公務は皇室維持のためのお仕事なのだから、人数が少なくなれば、それに合わせて効率の良い効果の出やすいあり方を探したらいいと思います。

効率を言うのは好きじゃないけど。

いまの、交通機関を使って、全国を回る方式は効率が悪いし、実際にあった人にしか皇室の実感が生まれない。

わたしは、近くまで秋篠宮夫妻が来ていたことを知らなかった。皇室に興味ない人は永遠に知らないままだろう。いくら、全国各地を巡る旅で、その土地の人と絆を育んだといっても、それはかなり局所的。皇太弟になったから、求心力が増すかと言ったら、そんなのあり得ない。もう、宮さまは宮さまなのって浸透してる。挽回に30年くらいかかるんじゃないか。そのころはもう、お爺ちゃんで活動できなくなってる可能性が高い。無理筋すぎる。

実際に天皇の労いを受けた人がご近所に話したり、親戚に話すことで絆の輪がちょっとは広くなるかもしれない。だけど、そのお話を聞くことができた子がどんだけいるだろうか。

一億人と面会するわけにはいかないし、絆を育む方法はもっと他にあるかは検討してほしい。

今日も、皇族方はスピーチ原稿を自分で用意して、現場の予習をしているに違いない。

なのに、その映像も、原稿も見られない。写真がないことだってある。今の時代、映像がなければ、なかったことにされてしまう。せっかくお仕事されているのに、PRしないのは不完全な成果しか残せない。顔と名前を知らなければ、いなかったことにされてしまう。たとえ、歴史書に名が残っても、それでいいんでしょうか。目立つのは結婚の時だけなんて切なすぎる。

テレビで流さなくても、公式ホームページに特集コーナーを作ってSNSでPRすれば、勝手に拡散する者もいて偶然に人が見てくれる。

公務の風景も専属ビデオカメラで、残しておいてほしい。今後は失われる可能性もある様子だからです。

宮内庁や皇族方は、近影を流布させる状況をよく思ってないのかもしれないとまで考えている。

戦前の思想なのか、芸能人じゃないから、プライバシーは厳格に守りたいという気持ちかはわからない。

女性宮家に子供を期待しすぎるのはつらい。女性宮家案が実現すれば宮家の存在感を決定的に変えてしまうだろう。子のない宮家もあった。結婚しない人もいた。傍系だからそれは構わないことだった。

でも内親王家には結婚と出産が義務のように課せられるんじゃないか。それは度し難い。単なるサポートメンバー、肉のスペア感を出しすぎると、人格破壊だ。結局立ち行かなくなるのは目に見えている。はっきり言って弟いとこの側室にするのと一緒だ。気持ち悪い。

条件付きで皇籍を認め、しかも宮家の当主までにはなれるが皇室の長に慣れないという仕組みを明確にすれば、それは、女性は永遠にトップに上がれないことを肯定してしまう。ガラスの天井なんてものじゃない。目に見える蓋だ。この蒙昧な意識が日本を暗くさせている。もう、いい加減に希望と未来を形で見せてほしいです。

そして、皇族が、ただ自己の存続のためだけにする仕事というのもつらい。仕事の意義を、一般に披露して、わからせなければならない。誰かのためにならないと仕事のモチベーションは上がらないんじゃないか。

わたしは行動で魅せるものよりも、もっと直接スピーチが聞きたい。声が聴きたい。公的活動は減っていくと思うけど、数を維持するんじゃなくて、一つ一つの内容をみっちり教えてくれればその代わりになると思う。

皇族の公的活動の意義は、ねぎらいだと思っています。

功労があった人や、労働に対して、今、大変な状況にいる人、高齢者によく生きてこられましたね。よくやってこられましたね。これからも、お元気でお続けくださいとやることだと思ってる。

それは大変うれしいご活動だと思う。美術鑑賞も文化の発展に携わる人への労いだし、芸術に賛美をおくることにも意義があると思う。文化的活動は人間を豊かにしてくれたからです。

子どもたちへ日本文化を伝える活動というのも意義深い。歴史の証人として、執筆寄稿するのもとてもいい。

外国訪問も在外邦人のお労いはとてもいいことだし、現地メディアに日本の名前が出るだけでも意義深いことです。

そういう点で公的活動は大切だとおもう、ただし、広報と両輪だと思う。

私が気を付けたいと思っていることは、公的活動っていうのはプロパガンダになることもあるってことです。

貞明皇后のハンセン病に対する活動が有名だと思う。今の天皇がその歴史を背負って施設慰問にこだわるのも当然と思う。

天皇が公的活動するのはうれしいことだけど、普通の人がそれを望むなら素朴に受けるだけじゃだめだと思う。

天皇の活動は世論と連動しているわけで、世論の偏見を強化することも、自分を権威づけてくれそうなところばかり行くことだってありうる。

もうちょっと好きか嫌いかじゃなくて、べつの、ドライな感覚で皇室を見る時間があっていいと思った。

権威強化か、フレンドリー演出か、そのバランスなのか?う~ん・・・

今の天皇は前者だと感じた。だから、フレンドリー値が下がった。皇太子は今のところ後者をやりたがっている状況と見える。なんかぶれないところとか、ふつうの雰囲気にむしろヒーロー性を感じるんだよね。今の天皇はヒーローっていうより、スターって感じる。上から見下ろされる感じ。皇太子も見おろしてくるんだろうか・・・それはない感じがしている。なんかね、その見下ろしをいままではミチコの魅力でカバーしてきたと思うのよね。でも、ミチコ、おしゃれが場外までぶっとんじゃったし、若いころの美形な印象がすっかり消えてしまった。だから、テレビしか見ない、週刊誌ゴシップスキのおばあちゃんも美智子妃殿下(いまだにこういう)って家庭経営が変と思ってしまっている。

今のこういう皇室の状況って天皇の個性と無関係なのだろうか。わたしは、皇族が選択を重ね続けた結果と見えるのです。

象徴天皇制は天皇さんの個性がすごくでる。

絶対に器なんかじゃない。

それはわかる。

だれか、公的活動の縮小という観点から総括して、公的活動をちゃんと定義づけしてくれないでしょうか。

私以前疑問に思ったことがあるのだが、もし、誰かがイベントを主催したとして、どうすれば、そこに皇族(内廷外)のご臨席を賜れるんだろうか?○○さまに公務依頼殺到なんて煽ってたけど、どうやって依頼するのだろうか。弱小イベントも申請してるのか?式典、イベントは星の数ほどふえていくけど、そこに皇族が毎回参加するのは難しい。引き継ぐのもあれば、自分の得意なことにしぼることもあり得る。山の日なんかそう。

そんで、天皇の退位規定は高齢社会には必要。だけど、最後の締めに切に願いますって言われても、皇太子ほどビンビン来ないのは何でや。陛下が私に向かってお話ししてくれた。なんて、思えない。そんなことより、皇太子が十分責任に耐えうるほど成熟したので安心ですって言って欲しかった。それだけなんだよな。私にあるのは。自分のわかる範囲でしか考えられないんよね。でも、そこまで言ったらさすがにやり過ぎだと思ったのかもしれない。来年の暮れには言ってくれタラナなんて思う。わたしと天皇は年が違い過ぎた。

皇室ってふつうのみんなに向って、個人的な感情を寄せるように導いてきたと思うんだけどね。だから、私も皇族の個人的な部分を見つめようとしているんだけど。天皇は今、どんな気持ちだろうって思ってしまうのって、そんなに変かな。人に備わっている共感性が物事を解決することだってあると思う。天皇はこう考えてるはずって決めつけるのは自惚れになっちゃうから避けたいとは思う。天皇が人だと思ってるから、傷つくようなことは言ったり、やったりしないでほしいなとは思う。それ以外は意思を尊重したい。人間だからいつまでも頑張るのは無理、最後は自分が出てしまうと思います。ただ、プロセスと形が気になっただけです。

何で天皇への見方や感情が転換しちゃった人がいるのかっていうと、皇室のなさりようが、普通の人をいたく傷つけたからに他ならないわけで、皇室のシステムからすれば、とっても的外れな思い込みなのは承知してる。ファンってワガママで聞き分けないよね。天皇は努力してるのに。ただ、衝撃は変わらない。それがなかったら、こんな人出てこなかったよ。これはホント。それがなければ個性のあるいいお爺ちゃんねで終わらせられたのよ。ありがとうございましたの声がもっと大きかった。

まあこのあと皇太子も憲法を飛び越えてくることがあるかもしれない。天皇ってなんせ人だから。

だけどなあ天皇の信頼に任せるのなら、現状ではヤバいと思ってるからこその猜疑心なんだよね。あれから何年たったろう。これをネット上でいいから、残しておきたいってのはある。最近、考えが変わってきた。以前はなにかをいうときは確かじゃない情報は全く無視して、書こうと思ってた。品格が損なわれるとおもっていた。

だけどね。一つ一つの出来事が一般にどんな受け止めを与えたかっていうのは、大衆メディアには残っていかないし、あとから、修正、上書きされちゃうのを見てきた。

影響力のある人が発言するとああ、そうだったなと思ってしまう人もいる。そうじゃなくても、いまネットの存在が大きいから見ず知らずの無名の書き込みを信じることが普通になっている。質問サイトを見たらわかる。

皇室が一般に与えた感情を文字に残すことで、日本社会が前よりましになるはずで、

あなたがた、そういうことやり続けると私こう感じちゃいますよって書いて残しとくのは悪くない。

祖語があるって伝えたいのです。否定したいわけじゃない。

だってさ、そもそも国民が皇室と距離を置いたら、かれらの生命力が消えちゃうし、

筋論ばっか言ってたら、皇族の個性からくる細部が見えなくなって面白くないです。

だけど、大好きになってしまったら、自分の希望と違う結果が返ってきたときに絶望しちゃう。

なんかこの3点のあいだをいつもスイングスイングしてるのよね・・・。全然決まってないのよ。まあ、いつか決まるんでしょうけど。

マコちゃんは世代的に私と近い。ということはお母さんもキコちゃんに近い。だから、子どものころ何回か聞いた。今から私に弟ができる気分ってどんなだろうね?お母さんのいまの年齢で赤ちゃんを産んだらどんな感じ?節目にも聞いた気がする。今、上の子の子育てが終わったのに、まだこれから、小学1年生がいるってどんなだとおもう?大学生でまだ、弟の面倒があるなんてどうなんだろ、実際の気分は?

何回聞いてもこう言われた。さあね、自分で育てるわけじゃないでしょ。ナースがいつも見てるから、べつに構やしないんじゃない。

わたしはお手元で育てるってそういうことじゃないと思っている。あのおうちは家族同士は仲良く、愛情を育んできたと思う。それは、会見文章を見ればわかる。でもそういう風に言うんだよな。他の子にはそんなこと言わないのにな。なんか情愛を得にくくさせるバリアーがあるよ。そこをちゃんと見つめないと皇室って続けていけないんじゃないでしょうか。私とお母さんはあの登校付き添いも一般的最善策だと思ってるし、胃腸の病気をされたら心配している。普通の良心的な目線を持っているわけですけど・・・っていうところなんですよ。あの朝のあいさつ回りの話とか変。だって、大人はそれをしないじゃん。なんで子供に押しつけるんだろう。エキセントリックしつけより濃やかな情愛が見たいのに。あ~あ、なんかあのまま女の子二人のいいお母さんで行くのかと思ってた。あそこで親王を挙げたら、結局娘さんが困るじゃん。あのままならもう内親王家の法整備できたと思うよ。なんで内親王を2人も産んだ自分を下げるようなことをしたのかな。私女の子(当時)として嫌な感じだわ(-“-)カコちゃんはお母さんはいつも明るく前向きな人と言ってたな。じゃあ夫の言いなりなのかな。前向きって周りが見えないから深く考えられないってこと?う~ん(-“-)

 

そういやあ、14,5年は昔だけど荒木飛呂彦センセイが愛子さまと、ベラスケスの描いたマルガリータ王女像と、奈良美智の描く少女を並べて、なんかわからんけど、無性にかわいい顔だって言ってたのを思い出した。

何でかなってわたしも考えたんだけど、それはやっぱり、愛されてる女の子だからだと思う。

3人ともそれが表情に出てる。

愛されて育った人は必ず愛されるんだと。これ、本当に皇太子の言った通りになってるじゃん。

そういう宝物があることを幸運なことだとおもう。

この現代で愛とリスペクトを体現できるのはだれかって言ったら、もう一人しかいないんだよ。

この人は生まれたときから、いつもそういうメッセージを出し続けてくれた。

彼女の存在って、ただ愛そのもの。

そこに対する感謝は計り知れない。

誰が127代天皇になっても、こころの君はもうかえられない。

なんでこんなにファナティックなんだろう。わたしは皇室弥栄なんて思っていないはず。

皇室とどっかで妥協点を探したいと思っているタイプだ。いまは矛盾を受け入れるしかない。

でも、19人の心配はしちゃうなあ。それが人間の良心だし。余計なことじゃないと思うんだけど・・・

とりま、今、浮かんだことは全部書けた。またこれを考えてみる。

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