私見:女性はなぜ皇室に憧れるか、一般社会と皇室の連動について思ったこと

アイキャッチ画像:1965年9月23日アメリカ赤十字社前の三笠宮夫妻、長女甯子内親王

皇室に、特にプリンセスに強い関心を抱くのは女性たちだと思います。

なぜでしょうか。

第一にはお姫さまのもつ華麗なイメージや、浮世離れしたロイヤルファッションに注目しているのだと考えられます。

しかし、それ以上に、皇族妃たちは女性として生まれ、女性として生きる労苦を重ねてきた先輩として友人として、時にゴシップの対象になりつつも、敬愛されてきたのだと思います。

彼女たちの女性性を大切にしつつ個性を失わない優美なファッションは憧れともに女性を癒してくれたと思います。

男性は、天皇を日本史的好奇心、宗教的・精神的よりどころにする人は別にしても、皇室に関心を持たない人が多いと言われています。

それは男性皇族の地位は皇太子から天皇になることを除けば、ほぼ変動がない。女性のように降嫁しないことにあるのだと思います。

むろん一般男性もそれは同じで、結婚しようが、子を持とうが定年退職まで、ほぼ一定の日々を送ることと無関係ではないと思います。つまり、皇族の振る舞いが男性の心理、社会的地位の変化にはなんら影響がないのです。

男性に比すれば女性皇族の人生と役割は戦前から現代まで大変革を遂げました。

明治帝の成人した4内親王のために、嫁ぎ先として4つの宮家が誂えられ、彼女たちは皆、宮家当主の妻、つまり王妃となり2人は終生皇族として過ごしました。長命だった2人は敗戦後、臣籍降下しました。

明治帝の孫・昭和帝と香淳皇后の第1皇女、照宮成子内親王は進学を望んだようですが、結婚可能年齢になると、お見合いの席もなく、1943年に17歳でそのまま宮家の王妃となりました。敗戦後は臣籍にくだり、ほかの妹たちよりも比較的早く一般市民となりました。

戦後も女性皇族と男性皇族は歩むコースがかなり違います。

照宮の成人した妹は4人います。4人とも20歳を迎えると間を開けずに降嫁しています。末妹の清宮貴子内親王は結婚が決まると女子大を中途退学しています。1960年のことで21歳でした。

将来の決まった人には学問はいらない。就職歴は邪魔になる。家事手伝いとして花嫁修業をする。という価値観が上流婦人にはあったようです。男女共学の学生生活の中で男女は平等という教育を受けたわたしには、納得しがたい考え方ですが。

その後の1966年、三笠宮崇仁親王と親王妃(百合子)の第1子、甯子(やすこ)内親王は21歳で降嫁しました。甯子内親王は結婚後も学業を続け、大学を卒業しているそうです。

妹の容子(まさこ)内親王は海外に留学もし、1983年31歳で4歳年下の男性と結婚しました。

今上天皇と皇后との間に生まれた末っ子、紀宮清子内親王が労働対価を受け取った初めての内親王であることは、よく知られていると思います。

昭和帝の皇女たちと異なり、「20歳を過ぎたらお嫁入」ということもなく、ひとりで公務に赴くことが当たり前になっていました。ただ、いずれ皇室を離れる身なので、責任ある立場を避けてきた側面があるようです。そして2005年に36歳で元々の友人だった人と結婚しました。

そして、現在未婚の成人した皇女6人が皇族としての活動を続けています。

三笠宮家の彬子女王は女性皇族で初めて海外の大学で博士号を取り、ワークショップを通じて子供たちに日本文化を伝える活動など主体的、能動的に仕事をしています。

瑶子女王は就職経験があり、式典において自分の言葉でスピーチします。

高円宮家の承子女王も大学卒業後に就職し、それと並行して公務に当たっています。

ただ、典子女王のように大学卒業後、就職も留学も一切せず、旧式の選択をした人もいるところが皇女の興味深いところではあります。そうはいっても、彼女も卒業したらすぐにでも結婚ということはありませんでした。

10代で結婚した照宮から比べると、現代の皇族女性は高等教育を受けて大学院へ進学し、主体的にお仕事をし、金銭的対価を受け取るまでになりました。

皇室に詳しい知識人と称する人の中には皇室は外界と隔絶された神秘的な聖界で、一般社会の風習と無関係という人がいます。

しかし、ここまで読んでいただけたら、それは完全な間違いだと分かってもらえたと思います。

世界的な女性の地位向上に伴い、皇女の選択も変わってきたのです。

わたしはこのことをこそ日本皇室の輝かしい歴史であり誇りとしたいです。

一般社会と皇室はひとつづきの道です。

皇室は日本の伝統を形を変えつつ維持してはいますが、一般社会の歴史と常に共にあります。

もしかしたらライフステージの移行による変化が少なかった男性は、その連動に気付きにくいかもしれません。

しかしながら、仮に、皇室典範が改正され、天皇婿・皇太配・内親王配・女王配が制度に組み込まれたとします。

これは日本社会で一般的だった、婿養子ではありません。

一般に実子の家督相続人(家督ってわたしにはピンとこない)がいない場合、お婿さんはその家の当主になりますが、皇配は今の親王妃、王妃を男性にそのまま当てはめたものです。序列として常に妻に準ずる地位です。

それは女性と同じような努力も、女性以上の困難があることも想像できます。

皇太子妃に向けられたやっかみと偏見が彼にも向けられるかもしれない。

だからわたしはその時が来たら応援したい。

女性の生き方が変われば、男性の生き方も変化せざるを得ない。

妻が働き、夫が家事や子育てを任せられる。男性として、総合職でなく一般職に就職する。

男性が女性のように選択肢を持つ時代がきつつあります。それは望ましい社会だと思ってます。

いわゆる男が女並みになることが是認される社会ということです。

誤解してほしくないのは、けして男性らしさが失われるわけではありません。

男性というアプローチから、個人として尊重されるだけです。

確実に時代は変わりました。

もしかしたら未来の皇婿殿下が日本男性の心のよりどころとなったり、

男性の皇室への関心を高める要になることも、まったく、おかしな話じゃないと考えています。

皇室と日本社会が未来へ進むことを願ってこの記事を作成しました。



 

とある関西ローカルテレビ番組で、皇女が皇子と同じように皇統を担えないことを嘆く反証として、皇女が生まれてきた役割は、伊勢神宮の祭主に就くことであると主張する竹田恒泰という男性がいましたが、

女性で神宮祭主になった人は、初代が北白川房子氏(明治帝の元内親王)、2代目が鷹司和子氏(昭和帝の元内親王)、当代の池田厚子氏(昭和帝の元内親王)で、後継とされる黒田清子氏で4例目です。

いままでそのお役目を担った皇女は4人しかいません。これは戦後の新しい伝統であるということを付け加えておきます。

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