感動もういちど!愛子さま着袴の儀【完全版】

この記事では着袴の儀について、自分なりに調べたことを添えつつ写真を見ていきます。

以前の記事は、画像だけで着袴がなんのことなのか、どういう状況の写真なのか全くわかりませんでしたね。

長くなりますが「着袴の儀」をきっかけに、宮中の服制がわかるように書いてみたいと思います。もし、間違いがあったらコメントください。

詳しく知りたい方は各リンク先を参照してください。

この記事はこちらのHPと綺陽装束研究所

この書籍「素晴らしい装束の世界 いまに生きる千年のファッション」を参考にしました。

これを読めば日本の装束史の全体がつかめます。この本のおおまかな内容は綺陽装束研究所でも読むことができます。

ネットで簡単に入手でき、図書館に行けば必ず置いてあります。とてもいい1冊です。

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着袴の儀(ちゃっこのぎ)日本の皇室における通過儀礼のひとつ。満5歳ごろに行われる。平安時代に起源をもつ。幼児がはじめて袴をつける儀式。賜剣の儀の際に天皇皇后から贈られた袴を身に着ける。

愛子内親王の儀式は満5歳の誕生日に先立ち、2006年・平成18年11月11日(土)午前10時ごろから東宮御所で行われました。公開された動画や写真は11月7日の習礼のものです。

平成18年11月11日(土)2
着袴の儀の装束(童形服)を身に着けた内親王

着袴の儀の流れを順を追ってみていきます。

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職員が袴を内親王に着付けているところ

 

内親王は一番下に白の下着、その上に濃き(こき)の小袖を着ています。濃きとは濃い紫のことですが、ほぼ蘇芳色のことで若年の女性はこの色の小袖と袴をはきます。袖口を見ると小袖の裏は赤だということがわかります。

小袖(こそで):もともとは装束の下着。現代和装の原型となった。

そして、濃きの長袴を履かせてもらってます。右手には雪洞扇(ぼんぼりおうぎ)を持っています。雪洞扇は普通の扇に比べて先が少し広がっていて、今では女子装束の袿袴の際に持ちます。

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濃きの長袴

介添えの女官はどのような格好をしているでしょうか。

  • 内親王の前面の方:髪型は元結がはっきり映っていなくて口惜しいが、紀宮の時の写真だと”お中(おちゅう)”だとわかる。ニュース動画でもお中でした。服装は袿袴(けいこ)。袿は紫で白の丸文様、裏は淡萌黄、黄の中陪(なかべ)がついています。袿は繰り上げて道中着にしているようです。紅の切袴着用。
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足元はしとうずだろうか?
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女官さんは通常服の袿袴・道中着姿
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女官さんは結び目が5つの中すべらかし
  • 内親王の背面の方:髪型は垂髻(ときさげ)という明治時代に作られたもので袿袴の時の髪型である。濃きの小袖、紅の切袴。

 

彼女らが内親王に袴を着け、さらに濃きの単と赤の袿を着せ掛けます。

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最初から単と袿を重ねておいて2枚一緒に着せ掛けています。

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袿は表が赤、裏が淡萌黄で淡紅の中陪つき。文様は白小菊の丸です。腋は縫わずにあけているようです。平安のころのように3枚衣を重ねているのではなく、近代の宮中装束は表+中陪+裏をずらして仕立て、1つの袿を3枚重ねに見せています。

単(ひとえ):重ね袿(いわゆる十二単)の一番下に着るもの。袿よりも一回り大きく仕立ててある。

中陪(なかべ):袿の襟・袖口・裾などで表布と裏布の間に細く挟んだ別色の布

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襟元をみると3色の絹布が重なっているのがわかる

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装束が完成したら前に進み出て・・・
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東宮御所・「日月の間」で皇太子夫妻に一礼する内親王

着付け中は右手に雪洞でしたが檜扇に持ち替えて完成。前に進み出で皇太子夫妻に一礼します。

檜扇は衵扇ともいい、上部を蜷(にな)結びにした6色(青・赤・薄紅・紫・黄・白)の飾り糸。絹糸で作った松に紅白梅の飾花がつけられています。開いて持つことはなく、糸を巻き付けて右手で持ち左手を添えます。

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袿の文様は白小菊の丸の細かい装飾

報道では袿に袴と紹介されましたが、以下の記述からは赤い袿は子供服としての細長だろうと推測できます。

現代女房装束の基礎知識より引用

現在知られる細長は一般的には、袿のような着物で、袵(おくみ・前身につける打ち合わせ部分)がなく、前身に直接襟が付く羽織のような仕立てです。

~中略~
 紀宮様袴着の儀式では、脇を縫わない形式の紅の亀甲地薄紅松唐草細長(中陪つき)、濃色単、濃色長袴に濃色の小袖を着用されました。

「素晴らしい装束の世界」p66より引用

■細長

江戸時代以降も≪袿と同じような垂頸タイプで衽がなく丈が長いもの≫タイプの細長が公家の若い女性用として用いられましたが、これは脇も背縫いも縫われており、衽がなく丈の長い袿、というだけのものになります。現代の皇室における、女子の「着袴の儀」には、こちらのタイプの細長を使います。

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装束の構成:白の下着・濃きの小袖・濃きの長袴・濃きの単・赤い細長(中陪つき)・檜扇

儀式で身に着けたのはここに書いてある細長だと思います。おくみが無いということは打ち合わせが浅くなり、その上丈も長い。だから道中着(歩きやすい恰好)にするときは裾が引きずらないように普通の袿に着替えて参内したのかな、と想像できますね。^^道中着については後述。

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11月11日午前10時半ごろ・「着袴の儀」を終え、東宮御所の車寄せの報道陣に姿を見せた。この後、賢所仮殿へ参拝する。この衣は中陪がない

東宮に内親王がいなければこんな姿みられませんでした。今の時代で本当にラッキーです。

このとき内親王は濃きの小袖、濃きの切袴に薄紅梅の袿。袿の裏は黄色でおめらかしてあります。

おめり:袷や裾・袖口などで、裏布を表へのぞかせて縁のように仕上げたもの。ふきかえし。

この絹の織物が大変美しいですね

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左袖コントラスト強で拡大 地模様は唐草丸に八つ丁子?

唐草も丁子も吉祥紋としてよく使われるそうです。

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左裾コントラスト弱で拡大 複雑な文様だ

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内親王は袿袴(けいこ)の通常服の道中着姿です。

外出するのでここでは道中着姿。袿の裾をたくし上げて短くし、袴も長いものから切袴へと着替ました。足元は袴と共布の絹の布張りの靴です。袿袴に靴(ハイヒール)を履いていて和洋折衷の道中着が出来上がりました。

「礼服の袿袴」とくらべて格下の「通常服の袿袴」は単を省きます。なので袖裏(黄色い部分)が多く見え、中から小袖(濃い紫色)がのぞくのは仕様です。また、通常服は檜扇でなく雪洞扇を持ちます。

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持ち具のアップ

童形服の格式はどういう慣例になっているかはわかりませんが、袿を繰り上げてもこの長さなら、もっと裾が長い単を省くのは子どもにとって適切でしょうね。

着袴の儀式の後、宮中賢所仮殿に参拝し、御所の天皇へごあいさつします。


 

現代宮中装束を見るときに間違ってはいけないのは、平安貴族が着ていた装束と、現代の装束は異なるということです。江戸初期に着ていたものとも違います。「素晴らしい装束の世界」からはそう学びました。

江戸時代になれば当然公家も小袖を着て平安時代とはかけ離れた服装をしていました。しかし、江戸後期に装束御再興があり、平安風の装束が復古され、その当時の感覚とミックスして現代ナイズされた装束として今の宮中に残りました。くわしくは服制の歴史にあります。

また明治になり、欧化によって女性も公の場に参加するようになると和洋折衷の袿袴の道中着が規定されました。袿の裾をおはしょりのようにからげて、ハイヒールを履きました。活動的で歩きやすい。まさに、ネオ装束です。

ちなみに江戸末期の女官はこんな恰好をしていたようです。ひな人形で袴の腰をタスキのようにかけたものを見たことないですか?

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白小袖に紅の大腰袴
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江戸時代の女官の日常の姿「素晴らしい装束の世界」p24

時代が下るにつれて女房装束はどんどん簡略化されました。明治の皇室では日常的に洋装に改められ、装束は神事用となって残ります。十二単は最高礼装となり、普段は簡略化された袿袴が採用されることとなりました。

だから典子女王の婚礼衣装の説明がテレビでもあえて平安時代”ゆかり”の装束でという表現だったのだと思います。限られた時間で服制の歴史を解説をするのは難しいですね。婚礼中継の”平安絵巻”という表現はいいほうに誤解させているのかもしれません。髪型は江戸風の名残で足元は洋風の靴を履く。むしろ近代っぽさを感じます。

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ネオ化した伝統

 

装束の構成:お大(大垂髪)通常服の袿袴・道中着、濃きの切袴と共布を貼り付けた靴、檜扇

当時の宮中の専門家は時代に合わせてよく考えたなぁと思います。じつに現代的応用です。


 

2006年11月11日の画像をもう一度見てみましょう。後姿まであるなんて・・(≧▽≦)

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道中着のうしろ姿ははゆるやかにたるみます「素晴らしい装束の世界」p77より

これは着袴の儀を済ませた直後の東宮御所での写真です。昼間の行事だから、お父さんがモーニングでお母さんはそれに合わせて上着とワンピースのアフタヌーンドレスですね。アフタヌーンドレスはひざ下丈に省略できるものだそうです。父皇太子はグレーのベストを着用しています。ベストを着ていないと思った人、別角度の画像で確認しましたか?

大袖の袿から小袖がはみ出すのはもともと袖幅が違うので仕様です。

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長い髪を後ろでちょっと結んだヘアスタイル。背で切り揃えられた毛先が美しく、まるで尼そぎのをとめのようではないですか!古典の世界を体現していますね。

そして、ちいさな道中着姿。。これが実際にテレビニュースで放送されるとは思っても見ませんでした。宮廷絵巻だぁ(≧▽≦)やはり和洋折衷なのが日本らしさですね。文化とは常に融合するものです。

 

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本当に素晴らしい光沢の織

 



この記事を作るために「着袴の儀」でネット検索しました。ネット上の書き込みで気になったことについて考えます。

まず、髪に関する誤情報。(早合点による誤情報なのか、悪質な意図を持った≪釣り師の≫デマなのかはわかりませんが・・・)

  • 髪は不浄だから着袴の儀の当日触ってはいけない。

これは明らかに誤情報です。

まず、どうして着袴の儀だけそんなしきたりがあるのでしょうか

昭和の内親王はみな美しい当世風の髪型で着袴の儀に臨みました。

昭和より以前の写真が見つからないのが惜しい。

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1943年の清宮は昭和時代のおかっぱ頭だ

これはネット検索すればすぐわかります。髪は聖性が宿るというのは聞いたことがありますし、アニメのモチーフになったこともあります。しかし不浄というのは聞いたことがありません。おそらく髪は不衛生になりがちだからよく洗いましょう的な言説を、精神面に拡大解釈して、御不浄だとか自分に分かりやすい言葉に言い換えたのでしょうね。ばかですね。

  • 伝統衣装に髪型があってない

自分の中に常識を育てていればすぐ嘘だとわかるし、検索する力があればすぐに解決します。古式の装束に合わないというのであればおかっぱも束髪もあわないのです。髪は整っていることが肝心でしょう。

  • こんなのは、なんちゃって着袴の儀だ。まるで着袴の疑だ。

多くの人がこのとき皇女の着袴の儀の一連の流れを初めてテレビニュースで見たのです。比較対象がないのに、どうしてこんなの着袴じゃないと言えたのでしょうか?初めて見たものを受け入れられず、拒絶反応をおこすのは生物としてわかります。でも、ネットの匿名世界といえど言論の舞台に立つなら自らを修養し、知性を育みましょう。

  • 誤解が生じるのは東宮の情報開示が少ないからだ

1分程度のニュースで式次第から、明治以来の装束の決まり事を説明できるわけない。分からなければネットで調べよう。何から調べていいかわからないほど歴史の素養がないんだろ。天皇をさしおいて東宮が色々見せられるわけないでしょう。公開映像がリハーサルなのは舞台もそうじゃない?

というか、本で調べましょう。分からないことを印象で片づけるのはやめましょう。私は2006年当時、高校生でしたが、前知識があったので今日書いたことは当時もすでに理解できました。日本が好きと言いつつ日本を理解しないのはなぜでしょう。日本のいいところも悪いところも学んで責任ある市民になりたいと思いませんか。


  • 内親王は板引き加工の袿を着ている?

板引きは強装束のための技術です。一旦廃れた技術で、かなり大がかりだそうです。本当に特別な時以外には使わないでしょう。下には昭和の御大礼から廃止されました。とあります。

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「素晴らしい装束の世界」p121より
  • 細長ってなに?

現代の細長は童女の衽の無い丈の長い袿のようなものです。詳しくは上に書いた通りです。

  • 内親王が着ているのは衵(あこめ)?

衵は男性用と女性用とあるようですが、女性用は子供服で対丈のものです。衵=対丈と仮定すると、車寄せで着用の桃色のものは、繰り上げて着ているので違うでしょう。


当時ちょっとした疑問だったのが皇后が2006年の誕生日文書

敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴ちゃっこの儀を迎えます。男の子の着袴ちゃっこ姿もそうですが,女児の裳着もぎの姿も本当に愛らしく,清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着もぎの姿や所作は,今も目に残っています。

と回答されたことです。その頃はビギナーズ・クラシックの源氏物語や「まろ、ん」を読んで(わたしの古典知識はその程度です)裳着=結婚が決まった貴族女性の成人式のイメージが定着していたので、最初に着袴と書いたのに裳着と書き直したのはなぜだろうと思いました。裳着は現在は行われていないし。変換ミスかな。まぁ昔の発言だからそれほど気にしてなかったです。

ちなみに英文だと「男の子の着袴ちゃっこ姿もそうですが,」は

Just as little boys look so nice in their hakamas,と具体的に袴としているのに

「女児の裳着もぎの姿も本当に愛らしく」は

little girls really look lovely in their ceremonial attire. で単純に儀式の服装となっている。

そのすぐあとの「清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着もぎの姿や所作は,今も目に残っています。」は

I can still see how each and every one of them looked-Sayako, Mako, and Kako-at their Chakko-no-Gi ceremonies.と着袴の儀に統一されていて日本語文と相違がある。

さらに英語版には着袴の儀の注釈がつくが、辞書の着袴の儀と相違するのが不思議だ。

Chakko-no-Gi is a ceremony passed down in the Imperial family from the Heian Period to celebrate the passage from infancy to childhood. Boys wear hakama, a kind of trousers, and girls wear mo, a kind of long skirt, for the first time.

着袴の儀は平安時代から続く、子どもの成長を祝う皇室の通過儀礼です。

男の子は袴というズボンの一種をはき、女の子は裳というロングスカートの一種を生まれて初めて身に着けます。

注釈したことでかえってミスを深める結果になってしまった。宮内庁にプロの校閲係がいなかったのだとしたら気の毒だ。英文作成者は儀式については調べなかったのかも。しかも、飛鳥時代の裳はロングスカートだったけど今の裳はエプロンみたいな形だしなぁ。ただ、ロングスカートの派生なのは確かです。

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感動もういちど!愛子さま着袴の儀【完全版】」への5件のフィードバック

  1. こちらにお邪魔するのが楽しい日課になりました。
    懐かしい写真と説明文をありがとうございます。

    近いうちに私のブログでもご紹介させていただきたいのですが
    よろしいでしょうか?
    食べることばかりのブログですが。

    1. いなくみさん、コメントありがとうございます。
      紹介の件大丈夫です。
      このブログが楽しんでいただけているみたいでよかったです。

        1. いくなみさん、弊ブログ紹介ありがとうございました。
          当該記事拝見いたしました。
          このブログの画像アーカイブという目的が少しでも果たせているようでうれしいです。
          更新があったり、なかったりすることもありますが
          私自身の記録としても続けていこうと思っています。

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