2016年日本は死にました。

2016年日本は死にました。

今、2017年の日本に生まれ変わります。

昨年は理解に苦しむ凄惨な事件や、間違った道理が無知と偏見に後押しされて、押しとおってしまうことが非常に多くありました。

わたしたちが考えるべき重要な問題も、ないもののように扱われました。

そして、今年はそれ以上におおきな事件が起こり続けるでしょう。

 

もう今日しか書けないことなので、2016年12月末の雰囲気を残しておきます。

昨年12月26日、SMAP×SMAP最終回の歌唱パフォーマンスのこと。

花々で飾られたステージセットは祭壇のようでした。

わたしは、あの花の祭壇の上、ぽっかり空いた余白にSMAPの遺影が掲げてあるように思わずにはいられませんでした。

そして、5人は全く交わることがなく、ただ前を向いて歌唱するのみでした。

けして、SMAPありがとう。や

お疲れさまでした。という気分になるはずもなく、

感動の別れに涙することもありませんでした。

これがSMAPの葬儀なんだという感想しかいだきませんでした。

お葬式に参列して、棺をまえにしたとき。

悲しみよりも先に、もう故人とは二度と会うことができないのだ、という結果の重さに打ちのめされるような感覚と似ていたと思います。

5人がSMAPとして成熟し老いていく過程をみることは、永遠にかなわなくなりました。

非常に荒涼として寒々しい最期でした。

「世界に一つだけの花」のステージ衣装は花をモチーフにしたカラフルなブレザーだったと記憶しています。

しかし、最期はあの謝罪放送を彷彿とさせる黒い衣装でした。

かろうじて刺しゅうが入っていましたが、華のある金や銀ではなく黒でした。

スマスマ最終回に至っても、肉声メッセージを出せぬまま、番組を終えなければならなかったのは、

彼らが”あるがまま”の素の自分を見せ続けてきた結果と受け止めました。

彼らはグループ活動の節目において、番組生放送にこだわり、

今の気持ちを自分の言葉で表現し続けてきました。

しかし今は、個人個人の信頼と連帯が完全に消え去った様を

あのように無言で見せるしかなかったと理解しました。

それほどまでにむきだしのグループだったのだと思います。

そして、スタッフとの記念撮影の早回しでエンドロールを迎えました。

視聴者にメッセージすら届けられぬほど傷が深く、

支えてくれたスタッフを労り、ねぎらうことが今の彼らには精一杯だ、というメッセージだと思いました。

どこにも涙する余地はありませんでした。

わたしは、テレビをみていてこれほど厳粛な気持ちになったことはありませんでした。

 

最終回の当日の醜悪。

わたしは26日の朝からテレビはフジテレビ系をつけっぱなしにしていました。

SMAPの映像が各番組で使われていたためです。

お昼の「バイキング」というワイドショー番組で司会の坂上忍さんという人が、

「本人がそう思っているなら、もういいじゃない?」と開口一番に発言したのには大変失望しました。

多くの人が、公開謝罪放送や、裏方の確執を知っているのにそう言い切ってしまえるのは、

視聴者は何も考えなくていい、と言っているのとおなじだからです。

彼がただのおじさんならそれでいいのです。わたしも基本的には同じ気持ちをもっています。

しかし、影響力の大きいテレビ番組で司会をし、発言できるのに「OOが、そういってるならそれでいいじゃない」と気分屋のようなことしか言えないのであれば、情報番組の司会者の資質がないでしょう。

OOの部分は入れ替え可能で、ほかの問題でも同じことが言えてしまうからです。

(いじめ体罰いいじゃない、カジノいいじゃないとか、特例法による生前退位いいじゃないとか何でもいいです。)

芸能プロダクションは因習を温存し、タレントのキャスティング権をにぎってメディアコントロールしているのだろうと思っている人は多いわけで、そういう権力の問題を無視してこのSMAP解散を語ることができません。

なのに前述の発言がありました。

テレビワイドショーが情報番組を名乗りながら、言論の作法と無縁のビジネスマンでしかない元アナウンサーや芸能人を起用し、コメンテーターも芸能人で固める現状に辟易することが多い1年でした。

彼らの問題は、2点あります。

  • 自分さえよければそれでいい。ある社会問題が放置された結果、追い込まれる人がいることまで想像できない。
  • みんなが悪いと言っているのだから悪いのだ。と空気読んだ発言しかできない。

よく言えば市民の肌感覚の代弁者ですが、主観しかない世間話程度のコメントしか出せないのです。

こんな調子ですから、普段から観察し、自分の頭で考えなければならない高度な問題は、彼らには扱えないのです。

天皇の退位と皇位継承について、沖縄米軍基地新設についてやればいいのに。

ワイドショーは今年も影響力を維持するでしょう。でも本質にたどり着くことは永遠にないでしょう。

情報番組もっと世のためにがんばっておくれ。たとえば2016年ベッキーは長期間たたかれました。不倫は人倫に反するがあくまで個人的な罪ですごーく悪いことしたわけではないのです。これは醜い個人攻撃でした。一方こちらは権力の問題で権力の横暴を暴くことは個人攻撃ではありません。

人は現状に慣れて受け入れてしまいます。毎日見たものに影響されます。

誰かの意見に自分を乗っ取られないように日常を暮らしたいと思います。

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