愛子さまが生まれた日―皇太子さまと雅子さま妊娠から出産までの軌跡―

愛子内親王の誕生前後を写真と共にふりかえりました。

元の新聞記事はこちらをご覧ください→http://www.asahi.com/national/birth/

出産に関する儀式について詳しくはこちらをご覧ください→http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/tanjo.htm

懐妊の可能性

2001年4月16日午後0時半、宮内庁内で東宮大夫(当時・古川清氏)による記者会見が行われた。

皇太子妃(当時37歳)に懐妊の可能性が出てきたとして、予定されている旅行や行事出席などは取りやめになると発表した。1999年12月の流産から約1年4カ月後の吉報だった。皇太子妃は3月末ごろから懐妊の兆候が見られ、このころ妊娠第7週程と推測された。

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4月16日 目黒区の小和田家を取材しようと集まった報道陣

懐妊を正式に発表

1か月後の5月15日午後5時半すぎ、宮内庁は懐妊を正式に発表した。

このとき妊娠3カ月。出産予定は11月下旬から12月上旬とされた。1993年6月9日の皇太子結婚から数えて9年目のことだった。

宮内庁では、1959年に皇后が浩宮を懐妊した際の前例を参考に、正式会見の前に「懐妊の可能性」として発表した。

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6月21日宮内庁病院へ検診に向かう皇太子妃

内着帯の儀

2001年7月10日 内着帯の儀が執り行われた。

皇室の慣例では妊娠5か月目の最初の戌の日に内着帯の儀

9か月目に着帯の儀が行われる。

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内着帯の儀を終えた皇太子妃

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2001年10月16日 東宮御所でスウェーデンのビクトリア王太子を出迎える皇太子夫妻

着帯の儀

2001年10月26日 着帯の儀が東宮御所などで執り行われた。

着帯の儀は安産を願う宮中の儀式で、妊娠9カ月目の戌の日に行う。

午前9時、帯親を務める三笠宮崇仁親王の使者・坂倉幸治宮務官が天皇から贈られた絹の腹帯を東宮御所に届けた。

10月26日帯親を務める三笠宮崇仁親王の使者・坂倉幸治宮務官が天皇から贈られた絹の腹帯を東宮御所に届けた.jpg

その後、帯は皇居の宮中三殿の神殿に供えられ、安産を祈る神事があった後、再び東宮御所へ渡った。

午前11時20分、「着帯の儀」が始まり、モーニング姿の皇太子が立ち会う中、袿袴の妃が東宮女官の介添えで帯を結んで儀式は終わった。

皇太子夫妻は昼食にお祝い膳を囲み、午後には妃が、儀式を滞りなく終えたことを天皇皇后に報告するため参内した。

2001年10月26日 「着帯の儀」を終え天皇皇后あいさつのため皇居に.jpg

宮内庁病院へ入院

2001年11月30日午後11時25分、子宮の収縮が大きくなる出産の兆候があったため大事をとって皇居内の宮内庁病院へ入院した。

皇太子妃は、皇太子に付き添われて東宮御所を出発した。皇太子(当時41歳)は6月以降、計8回行われた病院での定期健診に毎回付き添っていた。

午後11時13分、皇太子、同妃を乗せた車が東宮御所正門を通過。門の前には、報道陣のほか、近所の人たちなど約50人が詰めかけた。車に向かって手を振ったり、「がんばって」と声をかけたりした。青い服を着た妃は笑顔で手を振り声援にこたえた。

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約10分後、車は皇居・半蔵門に到着した。宮内庁病院に到着した妃は、玄関で出迎えた医師や看護婦らに付き添われてエレベーターで2階に上がり、皇室専用の病室に入った。

12月1日午前0時過ぎ、皇太子妃入院を受け、宮内庁3階の講堂で岡弘文・宮内庁総務課長が記者会見した。

岡氏は「皇太子妃殿下におかれては、引き続き順調に経過しておられ、午後0時40分ごろ、陣痛室を兼ねた分娩(ぶんべん)室にお入りになられました。」と語った。

12月1日 午前0時過ぎ、入院を受け記者会見する岡弘文・宮内庁総務課長。「ご陣痛はありませんが、分娩のご兆候がおありなので、11月30日午後11時25分、宮内庁病院にご入院になりました。ご出産に向け、順調に進まれております」との内容だった.jpg

 

陣痛、そして分娩

2001年12月1日、午後0時40分ごろ、陣痛が始まったため陣痛室を兼ねた分娩室に移った。

皇太子は入院に付き添った後、天皇、皇后の住まいである御所に泊まり、午前8時半前、再び病院に入った。

妃の実母(当時63歳)も午前7時43分、病院を訪れ、皇太子と一緒に同病院2階の病室で妃に付き添ったとされる。

一方、1日は旬祭(しゅんさい)という祭祀の日で、天皇は予定通り、直衣姿で、宮中三殿の賢所、皇霊殿、神殿に拝礼した。

誕生

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2001年12月1日正午ごろから本格的に陣痛が始まり、午後2時43分に女児を出産した。

身長49.6センチ、体重3102グラムの内親王が誕生した。

皇太子は、分娩室で妃とともにすごし、励ましていたという。

出産後、妃は嬰児と対面した。宮内庁の会見によると「とてもお喜びで、表情は笑顔でいらっしゃった」という。その後、子を抱いた。皇太子も子を抱いた。

12月1日東京新宿駅前で配られる出産のニュースの号外を受け取る人たち(朝日新聞).jpg

12月1日 東京新宿駅前で雅子さまご出産の号外を受け取る人たち

お見舞いと祝福

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12月1日 皇太子は皇太子妃と生まれたばかりの内親王を見舞った。

2001年12月1日 見舞いを終え宮内庁病院を出る皇太子.jpg

同日、皇太子妃の出産について、父母の小和田恒さん、優美子さん夫妻は午後6時25分から、宮内庁で記者会見した。

恒さんは「大変おめでたいことで、心からうれしいことと思っております」。安産だったことについて「大変安どして、ホッとした気持ちでございます」と喜びを語った。

優美子さんは「お健やかでご安産でいらっしゃったことがうれしい。かわいらしい赤ちゃんで、うれしく存じます」と感想を述べた。

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見舞いを終え宮内庁病院を後にする小和田夫妻、この後会見場へ向かう

午後六時過ぎ、宮内庁病院への見舞いを済ませた後、宮内庁三階講堂で記者会見する小和田夫妻.jpg

12月2日、天皇皇后は午後1時40分ごろから約30分間、宮内庁病院へ入院している皇太子妃と生まれたばかりの新宮を見舞った。

2001年12月2日見舞いを終えた天皇皇后。見送りは皇太子と八幡和彦副院長(朝日新聞).jpg

天皇皇后を見送る皇太子と八幡和彦副院長

同日 夕 東京都千代田区の皇居前広場で誕生を祝う集会が行われ、2万5000人が会場を埋めた。

参加した長嶋茂雄氏「全国民が待望した瞬間をせつに待ち望んでいました」、「新宮さまが健やかにお育ちになることを、祈念申し上げます」

同じく毛利衛氏「満月の日に祝福され、まるでかぐや姫のように誕生された」と語った。

天皇、皇后両陛下も広場を見下ろす二重橋に姿を見せ、車の中から「万歳」の声にこたえた。

12月3日、午前中 皇族方をはじめ小泉純一郎首相ら三権の長らが皇居・宮殿の表御座所を訪れ、天皇皇后と皇太子にお祝いを告げた。閣僚や各国大使らによる天皇皇后へのお祝いの記帳が宮殿・北溜であり、正午までに約180人が訪れた。

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12月3日、皇太子妃は、赤ちゃんに初めて母乳を与えた。宮内庁関係者によると、赤ちゃんは母乳を吸う力も強く、元気だったという。皇太子はこの日も午後3時前から夜まで、宮内庁病院で過ごした。

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弟妹である秋篠宮夫妻と紀宮も午後、そろって見舞った。帰り際に記者から赤ちゃんが皇太子夫妻のどちらに似ているかと問われると、秋篠宮は「まだ分かりませんね」としながらも「かわいい赤ちゃんですね」と笑顔で答えた。

12月2日3日の2日間、宮内庁は、お祝いの記帳を皇居内の同庁庁舎前で受け付けた。2日は午後1時から同4時まで、3日は午前9時から正午まで。東宮御所でも2日午後1時から同4時まで記帳を受け付けた。

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一般の人たちの記帳による参賀は、12月3日の平日にもかかわらず、早朝から人波が続き、午前9時の坂下門の開門までに480人の列ができた。宮内庁は、記帳場所を増やし、正午までの受け付けを延長した。同庁庁舎前などでの記帳数は、同庁発表によると正午までで2万6742人だったという。

12月4日、衆議院はこの日の本会議で皇太子妃出産を受け、天皇皇后と皇太子、同妃にお祝いの意を表する「賀詞」を全会一致で議決した。参議院も5日の本会議で同様の賀詞を議決し、7日に衆参両院議長が国会を代表して奉呈した。天皇制に批判的な共産党も「(党の方針は)将来的に天皇制をなくしていくことだが、現段階は憲法を守る立場。憲法上に根拠をもつ象徴の家族のお祝いだ」(市田忠義書記局長)として、賛成した。

誕生後の行事と儀式

皇家の慣例をもとに旧「皇室親族令」が明治期に明文化された。その中に「皇子誕生式」という決まりがある。戦後、旧令は廃止されたが、宮内庁は皇太子誕生の際と同様、今回もほぼ旧令に沿う形で行った。

12月1日午後 誕生当日 賜剣の儀

健やかな成長を願って、天皇から守り刀と袴が贈られた。渡辺允侍従長から古川清東宮大夫に刀と袴(目録)が渡され、東宮女官によって赤ちゃんのまくら元に置かれた。

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天皇から賜った剣を宮内庁病院へ運ぶ古川清東宮大夫

刀身は、人間国宝の大隈俊平氏の作。刃渡り25.7センチ。全長40.7センチの白木造りの鞘に入っている。鞘は、秋篠宮家の2女児の刀も手掛けた高山一之氏の作。刀は、表が赤い錦、裏は白い絹の布でできた袋に入っている。

袴は、着袴の儀でのときに身につけるもの。色は濃色(こきいろ・濃い紫)

12月7日 誕生から7日目 命名の儀

午前9時50分、皇居・宮殿の表御座所で、天皇が湯浅利夫・宮内庁長官(当時)に名前を贈る旨を告げ、名前と称号それぞれを大高檀紙に書いた名記を同長官が渡辺允侍従長に渡した。

名記は金の菊の紋が入った黒塗りの箱に収められ、渡辺侍従長は天皇陛下の使者として東京・元赤坂の東宮御所へ出向いて古川清東宮大夫に伝達。午前10時半すぎ、皇太子が名記を見て儀式は終わった。

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名前と称号を書き入れた「名記」を古川清東宮大夫に届けるため、元赤坂・東宮御所に到着した渡辺允侍従長

名記はその後、皇居内の宮内庁病院へ運ばれ、東宮女官から皇太子妃に伝えられ、守り刀などと一緒に赤ちゃんのまくら元に並べられた。

命名の儀終了後、衆参両院議長が天皇と皇太子に国会を代表して賀詞を渡した。

「12月1日ご誕生になった内親王殿下は、御名を愛子と命ぜられ、敬宮と称されます」

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午前10時36分、宮内庁の岡弘文総務課長が同庁3階の講堂で上の通り発表した。

名は、天皇に皇太子夫妻の希望が事前に伝えられており、天皇が決めて、皇太子に伝える形をとった。命名を受けて皇居・宮殿では正午前から、小泉純一郎首相をはじめ三権の長らが天皇皇后と皇太子にお祝いを述べた。

天皇が名前と称号それぞれの候補が書かれた紙につめで印を付けるのが習わしで、名前、称号の候補は、3人の学者が協議して選んだ。その過程で両親の皇太子夫妻の意見が反映され、最終的にそれぞれ三つに絞られ、夫妻が天皇皇后と相談しながら決めたという。

小泉純一郎首相は「いいお名前ですね。なにか難しそうな名前かと思ったんですけども、だれにでもわかる。『愛』と『敬』でしょ。愛敬のある、敬愛されるお子さまとして、健やかにご成長してほしいですね」と首相官邸で記者団に語った。

同日 浴湯の儀、読書鳴弦の儀

「命名の儀」に先立ち、関連の儀式として、赤ちゃんに産湯をつかわせ、学問の上達と健康を願う浴湯の儀が宮内庁病院2階の皇室専用病室を白い幔幕で二つに仕切って行われた。

一方を浴殿に見立て、赤ちゃんを抱いた東宮女官が入った。木製のたらい桶、柄杓で洗う所作が行われた。

もう一方には衣冠単姿の読書、鳴弦の諸役。日本書紀の一節を読み上げるごとに「おー」という掛け声とともに弓の弦を引いた。

これを男の子の場合は3回、女の子の場合は2回繰り返す。長くすたれていたが、1902年、故秩父宮誕生の時に復活した。

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写真は11月8日の”読書鳴弦の儀”予行演習の様子

読書役は児玉幸多氏 鳴弦役は德川恆孝つねなり氏(右から2番目)前田利祐としやす氏(右端)

左端は古川清東宮大夫(当時)

 

読書では「日本書紀」の中から初代女帝・推古天皇の章が読み上げられた。

また、この日は天皇、皇后から赤ちゃんに、誕生50日ごろに予定される賢所参拝の際などのための産着御初召(おうぶめし)が贈られた。表地は濡緯(ぬれぬき)と呼ばれる、緯糸(よこいと)をぬらしながら織った布。裏地は白羽二重。下着は表裏とも白羽二重だが、皇居内の紅葉山養蚕所で皇后が育てた小石丸の糸が初めて使われたという。

同日 お印決まる

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調度類などに目印として用いられるお印は、ゴヨウツツジに決まった。別名シロヤシオ。栃木県の那須御用邸でも5月に花を咲かせるという。夫妻は、この花が好きで「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との願いを込めたという。

12月8日 皇太子も付き添い、母子ともに宮内庁病院を退院

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12月8日 午前11時4分東宮御所南門 退院する母子を迎えに宮内庁病院へ

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8日午前11時53分、一家3人で病院の皇室専用の玄関口に姿を見せた。

内親王は白いおくるみで母の左胸に抱かれていた。この日の体重は3136グラム。生まれた時より34グラム増えた。「よく寝てますね」。妃が皇太子に語りかけると、皇太子は「そうね、すやすやとね」とこたえた。

夫妻は看護婦や医師ら一人ひとりに「本当にありがとうございました」とあいさつすると、午前11時59分、病院を後にした。皇太子は車窓を開け、笑顔で会釈した。

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8日午後 東宮御所で命名を祝う茶会が開かれたが、皇太子が一人で祝福を受けた。

茶会には約70人が招かれ、宮内庁側はその名簿の形で、超音波診断を担当した岡井崇・昭和大教授をはじめ小児科、五十嵐隆、麻酔担当、花岡一雄・両東大教授が出産を陰で支えていたことを明らかにした。ここまで同庁は堤、定月みゆき両東宮職御用掛らのほかは発表していなかった。

9日は皇太子妃38歳の誕生日だが、出産直後であることを配慮、お祝いも内輪のものにとどめたという。

 

12月10日夕 皇統譜に登録

愛子内親王を皇統譜に登載する手続きが宮内庁書陵部でとられた。

皇統譜は、戸籍法の適用を受けない皇室の戸籍簿に当たり、歴代の天皇、皇后の身分に関する事項を記載した大統譜と、皇族に関する皇族譜とがある。

今上天皇直系の皇太子、同妃、秋篠宮一家、紀宮の7人を登録した皇族譜に新たに「内親王愛子」と名が書き加えられ、両親名、誕生の日時・場所、命名の日時が記載された。

2002年3月13日 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀

 

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アフタヌーンドレスの皇太子妃に抱かれる愛子内親王

慣例では宮中三殿の初参拝は誕生50日目以降となっている。東宮職によると、暖かくなるのを待ったため103日目になった。

午前10時39分 内親王は皇居で天皇皇后から贈られた御初召一重に着替え、、東宮女官長に抱かれて三殿を順に参拝。続いて宮殿・鳳凰の間で天皇皇后と対面し、天皇と内親王が形式的に杯をとり交わした後、皇太子妃が天皇皇后に礼を述べた。

東宮職によると、内親王は10日当時、身長62.6センチ、体重6265グラム。皇太子がおふろに入れたり、庭を散策する際に抱いたりすることもあったという。

2002年3月29日 お箸初

誕生から120日目ごろに行うのが慣例で、この日は119日目だった。新しい茶わんや箸の膳が用意され、小豆がゆに箸を浸して口にあてて、食事のまねをする。

行事は午前11時半に東宮御所で始まり、皇太子が見守る中、妃に抱かれた内親王の口に、小豆粥に浸した箸を東宮女官長がつけた。小豆粥の置かれた三方には、歯や骨が丈夫になるよう青黒い色の青石や金頭(かながしら)という魚も並んだ。

内親王は28日当時、身長63.2センチ、体重6735グラム。野菜スープも飲むようになっていたという。

2003年4月2日 記者会見

皇太子夫妻は元赤坂の東宮御所で愛子内親王誕生について語った。

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妃は生まれたばかりのみどり児を初めて目にした時のことを「本当に生まれてきてありがとう、という気持ちでいっぱいになりました。今でも、その光景は目に焼き付いています」と、涙をにじませつつかみしめるように語った。

皇太子については「育児に、私を助けて下さってまして、子どもを大変可愛がって下さいますので、子どももお父さまが大好きで、大変なお父さまっ子です」と話した。

皇太子は普段「愛ちゃん」と呼んでいると披露した。妃によれば首のスカーフを「つかんで左右に振ったり、引っ張ったりしてほどいてとってしまう」こともあるという。
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